前回、ぼくは海外を訪れるまえに、その国の言葉を簡単に勉強をするようにしている、という記事を書いた。
ふと、友人から言われたことがきっかけではじめたことだが、今では、その言語数も(無駄に)膨れ上がっている。
(※学んだ言語:中国語・タイ語・ポルトガル語・フランス語・韓国語・イタリア語・アラビア語
無駄に膨れてはいるけど、各言語は挨拶・簡単な質問程度で、決して高くはない。)
そうしてきた理由は、言葉のもつ力が大きいことを身をもって知っているから、につきるのだけど、今日はもう少し詳しく何故自分がそのように行動してきたか、内部動機を説明してみたい。
性格的な部分
話すのが好き
元来ぼくは人と話すのが好きだ。人と話せば、自分の知らない世界や経験を見聞きすることができるし、そもそも会話自体とても楽しいものだ。
思い返せば幼少期の頃から、ひとりぼっちで遊んだり、一人でメカいじりをする、といったもの静かな子ではなかった。複数でにぎやかに遊んでいるのが好きだった。
思春期、青年期を経てもそれは変わらず、例えば小学校高学年〜大学に至るまで、属する部活動は個人競技でなく、チームスポーツだった。
モノやカネよりヒト
また、例えば大学の就職活動では、業種を選ぶ際に、ヒト・モノ・カネという軸でみたら、ヒトをテーマにしていきたいな、と考えていた。(わかりやすい例で言えば、教員だとか。実際は教員ではないけど。)
幼少期から思い返せば、ぼくはヒト(他人)に関わるのが好き、かつ、大きな存在になっている。
ということで、一つ目に大前提として、人と話すのが好き、接するのが好き、という性格的な部分が挙げられると思う。
体験談
二つ目は、言葉が大きな力をもっているから、と身をもって体感したことがあるからだ。実はこの体験談を書きたくて、本記事は書き出した。
体験談を語る前に、簡単に、幼少期の背景的な部分を説明したい。
ぼくの出身は、、
ぼくの出身の街は、日本で有数のブラジル人が多い街だった。小学校のときはブラジル人の友達もいて一緒に遊ぶこともあった。お互い子供だから、互いの国の何かを語り合う、なんてことはしないけれど、ある夏、ひとつの言葉をおしえてもらった。
ちなみに、その頃覚えたたったひとつの、ポルトガル語は、
『ムイト ケンチ(めっちゃ暑い〜)』だった。
また、その他にも、家の近くの同級生の母親が英語教室を開いたりしていて、ホームステイの受け入れを行っていたりした。ぼくの母もその影響か、何度かホームステイの受け入れを行ったことがあった。(ちなみに、国は、シンガポール、ラトビア、バングラデシュ、中国、だったと思う)
こういった環境から、ぼくは小さい頃から大なり少なり身近に外国人と触れ合う機会があった。幼ながらに、海外というその言葉に、その扉の先に興味を猛烈に抱き、、と正直そこまでではなかったが、海外や外国人に全く違和感をもたない環境だった。
さて、身をもって体感した体験談に話を戻したい。この出来事は冒頭で上述した色々な言語を学びだす前の出来事だ。
とある夏の出来事
ある年の夏、ぼくは地元で接客のバイトをしていた。
内容は、駐車場についたお客さんを、『さぁ、こちらです』と店内まで誘導するだけ。そんな単純な作業だった。
あるとても暑い日、駐車場へ外国人(白人系)と日本人の奥さんが到着した。
ぼくは、こう思った。
《あ、外国人だ。ブラジル人かな?よくわからないな。
ま、でもいいや、この街で外国人といえばブラジル人に決まってる》
そして思わず、こう言った
『ムイト ケンチ (とても暑いですねぇ〜)』
それを聞いた瞬間、彼はにこっと満面の笑みを浮かべた。
見たことのないような力強い笑顔だった。
言葉のもたらした笑顔
彼がものすごく喜んでいるのが伝わり、客と店員という関係ながら、一瞬で距離がちぢまったような感じがした。たったひとつの言葉でその場の雰囲気がものすごく良くなった。
《なんなんだ、この感じは・・!!??》
ぼくの、さりげなく放った一言の言葉で、こんなにも相手が喜ぶだなんて、距離感が縮まるだなんて。若かりし頃のぼくとしては、彼の笑顔が本当に衝撃体験だった。
そこでぼくは学んだ。
言葉(言語)っていうのは、こんなにも力をもつものなのか、と。
そこから火がついたように猛勉強を始める、わけでもなかった。しかしながら、わかかりし、ぼく、の中にそういった実感が、一つの定理のように蓄積された出来事であった。
時を経て、社会人になり、趣味の一つとして海外旅行が加わっていった。ふとした友人との会話で、その後ぼくは、他言語を学ぶようになっていった。 海外旅行好きの人たちで集まっても結構レアキャラだと思う。
ということで、どうしてぼくが他言語を学んでいるのか(常日頃ではなく、旅行前限定)を説明してみた。また別の機会にどうやって勉強しているか?を書いてみたいと思う。